とりあえず「いい大学」に行けばいいでしょ?間違えまくった私の進路選択〜小中学生編〜

もみえりについて

私はプライドの高い人間で、けっこうずっと「かっこよくありたい」と思ってるタイプの人間だと自己分析しています。笑

プライドが高いっていうのは、「自分の生きたい生き方で生きている」というかっこよさを実現したい、そういう自分に自信を持ちたいという意味でのプライドの高さだと自覚しています。

このプライドの保ち方やかっこよさの定義は、私の約26年の人生の中で色々と変化してきました。

その変わり方を小中学生のもみえりにまで遡(さかのぼ)りながら少しご紹介したいと思います。

ちなみにこの小中学生編は進路の選び方としてはダメな例なので、失敗談としてお楽しみください。笑

どんなふうに未来の選択をすればいいか迷ってる人、悩んでいる人の参考になれば幸いです…^^

1995年生まれの2021年9月にもうすぐ26歳になるもみえりです。小中は千葉県の公立校、高校は私立、大学は国立に進学しました。新卒で通信制高校の教員になり、3年間勤めた後退職。現在パートナーが起こした事業を一緒に頑張りながら、社会問題をブログ・Twitterで発信しています。

なんでも「中の上」だった小中学生

勉強も運動も「中の上」

私は4人兄弟の2番目で、小学校・中学校ともに地元の公立に進んでいます(中学に関しては中学受験したけど落ちました)。

その頃の私は、特に劣等感を感じずに生きていました。

自分で勉強も運動も学校の中で「中の上」くらいだと自覚していたからです。

小学生のテストは大体100点くらい、バスケ部で運動もある程度できた。

中学生のテストでも大体上位5位くらいには入ってたし、陸上部で(部員の中では遅かったけど)クラスの体育の授業では普通くらいだった。

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そんな私は、無意識のうちに「どんな人でありたいか」ではなく「他人より何かが秀でていること」に重きを置いていました。

自分は「できるやつ」だと思ってた

そんな私は、その学校内での順位から自分はある程度「できるやつ」だ、と思っていました。

そして、そんな自分を「かっこいい」と思っていたんですね。

小中学生の頃の(特に中学の頃の)私のプライドは勉強ができることで保たれており、その時の「かっこいい」は試験の点数が高いこと、ひいては偏差値の高い学校に行くことでした。

だから、学校に進む先に何がしたいか、学校で何が学びたいかよりも偏差値の高さを優先して学校を選んだのだと思います。

というか、将来何がしたいとかはあんまり考えておらず、自分の将来と向き合うことの重要性もわからず、ただその時に「かっこいい」と思った道に進んでいったのです。

そんな進路選択ができたのは今考えると「ぼんやりと生きることができた環境」だったからじゃないかと思います。

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小学生では中学受験のための家庭教師をつけてもらい、中学生では塾に行かせてもらい、高校は私立に行くという選択肢を与えてもらった。

そうやって親にいろんなことをしてもらって、自分は勉強や部活に集中し、何かを諦めることもしなくていい。

将来のことをそんなに真剣に考えなくてもその時を楽しく生きていれば良かったんですよね。

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そして親はがっつりバブル世代なので、高学歴=高収入が今よりも顕著だった時代。

子どもに学歴を持たせることに特に疑問も持たずに賛成してくれていたのだと思います。

両親、勉強させてくれてありがとう。今あんまり学歴関係ないことしててごめんね。笑

承認欲求を満たすための進路選択

そんな自称「できるやつ」な私の進路選択の基準は偏差値一択

(雑誌のモデルに憧れて高校はちょっとおしゃれしたかったから多少校則のゆるさは欲しかったけど…笑 あの頃はPOPTEENとかRAN ZUKIとかeggとか流行って読んでた( ;∀;)懐かしい)

塾や学校の先生も当たり前のように偏差値を基準にしてくるし、そこに疑問も感じず、ただただ偏差値が高い高校に行こうとしてました。

高い偏差値の学校に行った方が「かっこいい」し、周りの人から「すごい」って言ってもらえるし、むしろ偏差値以外にどんな基準があるのか知らない、考えたこともないという状況でした。

その時の私にとって自分が自分を認めることができて、周りの人からも認められる方法は「偏差値の高い学校に入る」ことだけだったのです。

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余談ですが、公立高校を目指していた私は前期後期ともに落ちてしまい、すべりどめの私立に入学しました。結果的には先生、友達もいい人ばかりで良い高校生活が送れました。

後悔はしてない…でも、もっと真剣に考えれば良かったとは思う

前述した通り、結果的に高校生活を楽しく送ることができたので後悔はしていません。

ただ、「なぜこの学校に行くのか?」とか「この学校に行った先に何がしたいのか?」を考えたり、「自分はどんなことが好きで、どんなことが嫌いなのか?何が得意で、何が苦手なのか?」を考えたりすることができたら、もっと自分に正直に生きることができたんじゃないかなあと思います。

「知らない」ということのデメリット

私は小学生の頃から「人の将来のためになることがしたい」「この理不尽な世界で幸せに生きる人を増やしたい」とは思ってましたが、じゃあ実際何ができるのか?はわかりませんでした。

なんとなく海外の難民キャンプで活動している人の想像はできたけど、どうしたらそんな人になれるかはわからなかったし、誰に聞いたらいいか、どう調べたらいいかもわかりません。

わからないまま「自分にはできないかもしれない」という諦めが徐々に自分の心を支配していきました。

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その時の私に圧倒的に足りなかったのは知識。そしてその知識を得るためのリサーチ力と知ろうとする気合い。

なりたい姿になるために何をすればいいかがわかるのが遅くなればなるほど行動するのも実現するのも遅くなります。

「知らない」ことは調べなきゃいけないし、調べ方がわからなければいろんな人に相談しなきゃいけない。

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小中学生の私に今の私がひとこと言えるとしたら

「諦めるな、調べろ。そして自分のことをもっとよく知れ。」

と言いたいですね。

さて、次は高校・大学編です。お楽しみに!

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