「世界の問題を本気で解決したい!」
と思っている人から
「自分の力を少し誰かに使ってみたいけど何から始めたら良いかわからない…」
という人まであらゆる人に対して
「今何が世界で起こっているのか」「自分には何ができるのか」という情報をお伝えしていきます!
なんでこのブログを書こうと思ったのか
幼い頃から「何で同じ地球に生まれながら「やりたい」と思ったことができる人と、あまりにも高い壁がある人とに分かれてしまうのか…」「何で周りの影響によってできないことがあまりにも増えてしまうのだろう…」と思っていました。
同じ地球に生まれた私たち。
日本という(一応まだ)先進国に生まれ、年収800万ほどの中流公務員家庭に生まれ、自分が見えている世界の範囲では「自由」に生きてきたと思ってきた。
ふと思いました。私は、本当にこのある意味「安定した」生活に満足して生きて、死ぬことができるのだろうか…
答えはN Oでした。
「自分の影響で変えることができること」
それは、今世界の現状を伝え、今自分ができることを伝えること。
そして、今の世界にある可能性を少しでも広げること。
それが自分のできることだと考えました。
だからこそ、ここで私が情報を伝えていこう!
その思いを広げていこう!
という思いでこのブログを始めました^^
もみえり誕生
1995年、私は千葉県習志野市に生まれました。
幼稚園〜小学生低学年まで、真面目でかなり大人しく、 休み時間は自由帳に絵を描いて過ごす日々でした。
(たぶん生まれてから今までずっと絵を描くことは好き)
国際協力との出会い〜単純な疑問からのはじまり〜
正直な話、私は何か大きなきっかけがあって国際協力をしたい!と思ったタイプではありません。
小学生の頃から私は、
「世界には自分と家族以外にもたくさんの人がいて、
それも地球っていうものにほんとにたっくさんの人が住んでいて、
そしてその人たちはそれぞれ違う考え方や価値観を持っているということ。
そして自分の知らない世界がたくさんあって、
これからそれを知ることができるかもしれない、楽しみ!」
というような好奇心旺盛な少女だったんですね。
こんな性格だからか、海外に興味があって。 海外旅行に行くような家族じゃなかったんですが、 テレビとか学校の図書館の本とかで海外のことを知るのが好きでした。
そこで私は自分とおんなじ小学生くらいの年の子が戦場で戦っている世界や、結婚させられている世界や、一生文字が読めないまま搾取されている人がいる世界があることを知りました。
最初は驚きと戸惑いと疑問でした。 なんで今この人たちはこのような人生を歩むという選択しかないんだろう。私はただ日本に生まれたというそれだけで衣食住に困らない生活を送っている…
生まれた環境や周りの常識が違うというそれだけで人は苦しんで生きなきゃいけないんだろうか。
まず否定から入るのは良くない、と思った私は「文化」という都合の良い言葉に 当てはめて考えてみようとしましたが、それでもやっぱり、人が苦しんでいい理由にはなりませんでした。
自分の思いを行動に起こせない日々〜悶々とした中学・高校生時代〜
小学生の時から人の可能性に対する障害や人権に興味を持った私に ある大きな出来事が起こります。
2011年3月11日14時46分
この日、中学3年生だった私は卒業式練習のため、教室から体育館に移動していました。
ちょうど階段を登っていた時、近くにいた先生が 「みんな止まって!!」と声を張り上げました。
次の瞬間、階段がうねりはじめました。 私は近くにいた友人とその場にしゃがみ込み、頭を抱えてただ恐怖に怯えることしかできませんでした。
周りの友人は叫んでいる人、泣いている人様々だったように思います。
やっと揺れが治りました。
何秒だったか、何分だったかわかりませんが、体感ではとても長いように感じました。
中学生でケータイも学校に持ってきていません。 情報もない状態で帰宅してからみたテレビで津波に人が飲み込まれる様子を見て 「これは大変なことになった…」 とさらに恐怖におののいたことを覚えています。
その時確かに
「何でもいい。何でもいいから、自分にできることをしたい。」
と思ったことを覚えています。
2011年4月、現地でのボランティアの情報を見た私は、母親に「私もボランティアに参加したい」と伝えました。
母親は「こんな高校生が行っても逆に迷惑なだけだよ。やめておきなさい。」と一蹴しました。
母親が言ったことは、親の心配半分・事実半分だったと思います。
確かに体力も何のスキルもない私がいったところで邪魔なだけだったかもしれません。
ただこの時から私は、
「自分には何もできない」
という感覚にずっと付きまとわれることになってしまいます。
震災の募金に対しても、友人が募金しているにも関わらず気持ちの整理がつかないからと断りました。
今まで自分の中でひっそり守っていた
「人に平等に優しく接すること」
「自分の正義は曲げないこと」
という信念にも自信がなくなってしまっていました。
中学生の時には児童養護施設もしくはNGOで働きたいと積極的に言っていましたが、「本当に私はそこまで人のためになれる人間なのだろうか」と不安になり、自分のなりたい姿を見失い、あまり夢を語らない人になりました。
そんな時に大学進学をしたので、実家に近い・学問的に面白そう・フィールドワークがしてみたいという理由だけで
私は千葉大学文学部行動科学科文化人類学講座を選びました。
(文化人類学がどんな学問か気になった人はググってみてください)
そんな流れのまま大学2年生くらいまでダラダラ時間を浪費して過ごしました。
今考えると本当にもったいない。笑
「自分のやりたいことがわからない」「やり方もわからない」悩みに悩んだ就活
大学3年生になると、いやでも就活を意識し始め、私も例にならって自己分析を始めました。
ある本を買って自己分析をしたのですが、その中で今でも覚えている項目があります。
「自分の人生で本当に大切にしたいことは何?」
その時、私は私自身の大切なものをこう定義しました。
自分が幸せであること。
そして、自分が一番幸せだと感じるのは
「どんな環境にいたとしても、不当に他者から障害を与えられず、その人の思いが実現できる」
そんな世界をつくること。
高校生の時からずっと自分の気持ちに目を背けていた私が、やっと自分の気持ちと向き合い始めたのです。
そうして、大学3年生の春、ひとり親家庭の小中学生が無料で授業を受けられるNPO主催の塾ボランティアに参加しました。
私は、自分がやりたいと思っていたことが少しでも実現できている実感があり、本当に楽しく勉強を教えていました。
ただ、それはボランティアにすぎません。
職業として自分の思いを実現するにはどうすればいいだろう。
そう悩んだ私は、海外支援、 特に子どもの人権を扱っているNPO・NGOの求人をあさりました。
ただ、どこをみても 「社会人経験3年以上」「マーケティングに2年以上関わった経験あり」などのキャリア採用枠のみ。
その時の私は新卒でNPOやNGOに就職することがこんなに難しいことだとは知りませんでした。
そこでJICAに応募しますが、エントリーシートで選考落ち。
大学3年生から始めた就活では、圧倒的準備不足・スキル不足でした。
大学4年にも差し掛かろうというある日、ある企業に出会います。
その企業は、マイナビさんの企業ページを見て少しいいなと思いたまたま企業説明会に足を運んだ会社でした。
そこで初めて 通信制高校の先生という選択肢を見いだしました。
通信制高校は「中学生の時にやんちゃな同級生がいった場所」くらいのイメージで、 その時まで全くその内情を知りませんでした。
説明会の後、私は通信制高校について調べました。
現在通信制高校はそのほとんどが小学校や中学校で学校に行くことが 難しかった子が在籍していること。
私がイメージしていたやんちゃ層は減少傾向だけど、そのような子の高校卒業の可能性をつくる場所でもあること。
芸能活動やスポーツに自分の時間を割くために通信制高校を選ぶ子もいること。
さまざまな理由で通信制高校を選ぶ子がいる、
そして、ここで働けばどんな環境にいる子も高校卒業の可能性を見出し、将来にプラスになる選択を一緒に探していけるのではないか
そして私は、2018年4月通信制高校の教員になりました。
組織で働く難しさ、パートナーの存在〜自分の幸せとは何か〜
通信制高校では、3年間働かせてもらいました。
そこでは、同僚や上司にも恵まれ本当に楽しくやりがいのある日々を過ごすことができました。
特に私は、生徒と1対1で話している時間が好きでした。
生徒の今までの人生を真剣に聞き、悩みを一緒にひとつずつ整理し、
何を選択すべきか一緒に考えていく。
生徒の人生を考えたときに生徒にとって一番いいと思える選択はなんなのか。
いつでも解決策があるわけではありません。
でも、一人で抱えている苦しさを和らげ、頭を整理することで、
その生徒が少しでも生きやすく、未来に希望が持てるようになったら嬉しい。
そんな思いでした。
1年目、2年目は特に役職もなくペーペーだった私は、
自分の今後のキャリアをぼんやりとしか考えられていませんでした。
転機が訪れたのは2020年です。
教員になって3年目に突入した年でした。
この年、私はたくさんの役割を与えてもらいました。
初めてのリーダーとしての役職、
2000人規模の大きな行事の主担当、
計90名ほどの自分のクラスの生徒の管理。
それに加え、コロナウイルスの感染拡大に伴い変更に次ぐ変更に追われる日々でした。
自分のキャパを超えていることはわかりつつも、期待に応えなければという使命感とここで頑張れなかったら自分が自分を許せないというプライドでなんとか踏ん張っていました。
この時は失敗も多く、周囲に迷惑をかけているという罪悪感で常に申し訳なさを感じていたのを覚えています。
体調に変化が出始めたのは夏ごろでした。
最初は体の疲れが常に取れないことから始まりました。
朝起きてからずっと体がだるく、職場の最寄駅に着くと足がなぜか重い。
職場では時々急に心臓と頭が痛くなりました。
ひどい時は1日中ずっと心臓が痛くて、呼吸がうまくできなくなって、
何度も深呼吸をしていました。
職場から帰って理由もなく涙が出て、朝起きても涙が出て、泣き止んでから出勤することもありました。
それでもやらなきゃいけない仕事はある。
やらなかったらたくさんの生徒や同僚に迷惑がかかる。
この時は、とにかく余裕がなかった。
「どんな環境にいても生徒がベストな選択ができるように」ではなく
目の前の仕事をこなすことで精一杯でした。
そして、ふと考えました。
今後、私はどう生きていきたいだろう。
自分は教員として、昇進していくことがありたい姿なのだろうか。
先を行く会社の先輩を見て、考えました。
今辛いとかそういう理由でネガティブになって逃げるのは良くない。これを自分の人生を考えるいい機会にして、冷静に今後のライフプランを練り直す。
私のありたい姿を素直に求めると、何がベストな選択なのか…
この時よぎったのが一度諦めた国際協力への思いと、パートナーの存在でした。
私のパートナーは2017年に21歳でネットビジネスで独立し、2020年に個人事業主から法人化までしていました。
そして、ある程度時間的・経済的自由を得ている彼を近くで見ていて思いました。
自分が幸せであること。
そして、自分が一番幸せだと感じるのは
「どんな環境にいたとしても、不当に他者から障害を与えられず、
その人の思いが実現できる」 そんな世界をつくること。
自分の目指す生き方を実現するためには、ネットビジネスで自分の経済的基盤をつくり、自分の時間・場所を自分でコントロールできるようになって、いつでもどこにでも動ける状態で自分の望む国際協力に 関わっていくのがベストじゃないか?
そうすれば、自分の人生に余裕を持たせ、 ありたい姿を目指せるんじゃないか?
そして、後悔のない人生を歩む第一歩になるのではないか?
2021年3月、私は通信制高校の教員を退職。
現在、フリーランスのWEBライターとして生計を立てながら、
原貫太さんのオンラインサロンSynergyや安部敏樹さんのリディラバ(リディ部)などで国際協力を学び、そしてこのブログで発信しています。
このブログを訪れた人が自分のありたい姿を見つめ、
素直に行動に起こせるように!
自分の生活と世界の問題を少しでもリンクさせ、
一歩を踏み出す後押しとなるように!
日々頑張って更新していきます!
よければ拡散・フォローよろしくお願いしますo(`ω´ )o
コメント
原さんのオンラインサロンから来ました!
ずっと前から発信されているのかと思うほど、言語化することがお上手ですね!!
見習いたいです。
そして共感する箇所がたくさんあって、感動しちゃいました。
私たち一人一人にできることはとても小さな一歩かもしれないですが、今より少し明るい未来を目指して一緒に頑張りましょう!
Terumiさん
コメントありがとうございます!そのようにおっしゃっていただけて、そして共感していただけてとても嬉しいです(*^^*)はい、できることをひとつずつ行動に移していきたいです。一緒に頑張りましょう!よろしくお願いします!
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